昨日のエントリーで
・子供の気持ちはわからない
・行動は予測可能
と書きました。
見方を変えると
・気持ちは記述不可能
・行動は記述可能
と言い換えることが出来ます。
たとえば、AさんがBさんをビンタしたとします。
おそらくBさんが「痛い」に類する言葉を発しつつ頬を押さえるでしょう。
これ以外の行動を取ることは極めて稀だと思われます。
しかし、この時のBさんの気持ちを予測することは可能でしょうか?
・AさんとBさんの関係
・ビンタされた理由
・BさんのAさんへの好意の度合
などによって大きく異なってきます。
これらは言語化がかなり難しく
伝えることも読み取ることも
言語以外の方法が必要です。
しかしながら、言語以外での伝達は
必ずしも正確には伝わりません。
したがって、子供の気持ちをわかることは
かなり困難を伴います。
そこで、「分からない」大人
「分かってくれない」子供
という関係が生まれます。
実はお互い様なんですが…。
ただ、親子の間では
わからないままでいいのではなく
「分かりにくい」ことを受け入れた上で
分かり合える努力が必要でしょう。
私の場合、週に1,2度しか会えないので
気持ちをわかることはかなり困難です。
ただし、応答としての気持ちが
限定される刺激が存在します。
それらを利用して、
「わかってもらえる」という感覚を
持たせることがあります。
人は「自分のことを分かってくれる」人に
気持ちを許します。
実は親子間ではこの関係が一番大事なのです。