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体罰がいけない根拠(その2) 〜教育の目的と効果〜
JUGEMテーマ:教育

体罰に愛があって、それを相互に認め合ったと仮定しよう。

その状態で体罰が教育に効果があるだろうか?

暴行の目的は相手に痛みを感じさせることだろう。
体罰を行う目的も、子供に痛みを味あわせることだ。
その痛みにより、今までの行動を変えることを目的とする。
この行動を変えることが「教育」に当たる。心理学では「学習」と呼ぶ。
したがって、体罰によって教育は可能だといえる。
しかし、体罰による教育には問題がいくつかある。
一つ目は前述の法的な問題。
もう一つは発展性がないことである。

仏教では人のような存在を有情(うじょう)と呼ぶ。
有情の特徴は苦しいこと、辛いことからできるかぎり逃げようと努力する。
人には四苦八苦とも呼ばれる多くの苦が存在するが、
それはおそらく他の有情の存在も同じである。
有情の存在は苦から逃れて、出来る限り楽をしようとするものだ。

体罰による指導とは、
有情の存在が持つ「苦からの逃避」を利用する指導法である。

しかし、人は(もしかしたら他の存在も)
その苦の先にある何かを求めて
苦を避けずに自ら困難に立ち向かうこともある。

人の場合であれば、多くの場合未来に向かう。
いや、人の場合だけでなく、他の存在でもそうであろう。
例えば、カマキリのオスがメスに食われてしまうのもそうかもしれない。
ちょっと前であれば、わがままな遺伝子がそうさせると言ってしまうのかもしれない。
ただ、人以外の存在は自分自身、もしくは自分の子までの未来への行動でしかない。

人の場合は、文字を有したおかげで、世代を超えて情報を伝えることが可能になった。
その結果、未来は自分の子々孫々であったり、自分や家族だけでなく、地域、民族、国家
さらには人間の枠を超えて自然や地球の未来を考えることが可能になった。

しかし、「苦からの逃避」だけでは未来は存在しない。すなわち発展性がない。
当然ながら、自分と今だけにしか興味が無い。
実際に、当の高校の生徒たちはクラブをさせろといい、
市長を差別し、さらには殺すと言い、
それどころか、校長も新人戦に参加していいですかなどと、ご遺族に聞いてしまう。

教育で最も大事な目標は
「自分で自分の未来を考え、
今するべきこと、する必要のないことを見極め
優先順位をつけ行動する。
これらを子供自らができるように身につける」ことだ。

この目標は以上のように体罰では決して達成し得ない。


もちろん、不登校になったり、引きこもってしまうような
「今、ここ、自分」を見失った場合には
それらを見つけることも重要だが、
それもけっして暴力によって行うものではないはずだ。

Posted by : akinakanoart | ツレヅレナルママニ | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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